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差異の90度回転が、メディア界を生み、そして、現象界を発現させることを確認した。では、私が先に考えた、女性・男性の強度の発生はどのように考えるべきか。先に、男性の強度について言えば、それは、90度回転のマイナス強度そのものだろう。連続的同一性の反動強度が、男性の強度である。では、女性の強度、プラス強度はどこから発するのか。男性の強度の方が単純である。90度回転の帰結である。イデア界→メディア界→現象界である。メディア界の差異が排出内部隠蔽されて、連続的同一性の現象界が発現する。プラス強度の発生はわかるが、それが女性とどのように結びつくのか。
ここでもう一度、男性の強度の発生を考えよう。メディア界から連続的同一性がマイナス強度・反動暴力として発動する。反動だから、元に反動でないものがあるのである。それが差異性である。ないし、差異共立性である。これへの反動である。男性は反動性をもつが、女性は差異性を維持する。何故か。女性においても当然反動性はあるが、男性の二律背反・二項対立性はもたない。これはどういうことなのか。女性においては、メディア界に留まらせるものがあるということだろう。それは、何か。メディア界的存在であるのだが、それはどういうことなのか。 もう一度、メディア界から現象界への移行について考察しよう。メディア界とは、簡単に言えば、差異/同一性ないし不連続性/連続性という境界である。これは、差異の90度回転によって形成されるものである。そして、ここからマイナス強度で現象界が発現すると考えたのである。つまり、差異90度回転の帰結としてマイナス強度・反動強度を考えたのである。しかしである。90度回転は、メディア界形成が結果である。現象界までは向かわないのではないか。つまり、メディア界は不連続的差異性と連続的同一性が併存している状態である。ゆらぎの状態である。だから、反動性はない。ならば、連続的同一性が反動化する原因を見ないといけない。差異を排出隠蔽する反動力の原因が何であるか見ないといけない。あるいは、マイナス強度がどこから発するのかである。 ここで、これまで考えたように、差異の側面をイデア極ないしイデア面、連続的同一性の側面を現象極ないし現象面を取り上げよう。しかし、より明快にするために、前者を差異面ないし差異極、後者を連続(=同一性)面ないし連続極としよう。すなわち、メディア界は、差異面/連続面という構成をもつ。だから、それは、差異面の強度・プラス強度と連続面の強度・マイナス強度のバランスを保持していると考えられる。だから、連続的同一化とは、このバランスを崩す・破壊することである。おそらく、ゆらぐメディア界において、差異極の方向にゆらぐとき、また逆に、連続極の方向にゆらぐ時があるだろう。前者が女性の強度ではないか。後者が男性の強度ではないか。つまり、メディア界のゆらぎの結果が女男の区別の発生ではないか。これは、いわゆる肉体的性別ではない。ジェンダー的区別である。正確に言えば、ジェンダー的区別ではなく、ゆらぎのいわば差異性である。つまり、差異極のゆらぎと連続極のゆらぎのいわば配分の差異が問題なのだろう。一般に、男性の強度・マイナス強度とは、連続極のゆらぎが強いので、それが差異極のゆらぎを排出しやすく、逆に、女性の強度・プラス強度は、差異極のゆらぎが強いので、連続性を解体する傾向が強く、多種多様的であると言えるのではないだろうか。つまり、女男の強度の差異とは相対的であるということである。 では、なぜ、女男に分化するのか。それは、特化の問題ではないか。男性の強度に特化することで、現象化が極限化するのである。もし、女性的強度だけならば、いわばデリダの脱構築主義となり、連続的同一性のシステムが作った途端に解体するだろう。差異性だけならば、おそらく動物的であろう。しかし、連続性が形成されることで、形式(超越論的形式)が成立して、現象界を知性・合理化することができるようになったと言えよう。(これは実は構造主義化であるが。)そして、この男性の強度、連続極の強度の帰結が西欧・米の文化である。近代西欧文化・近代資本主義である。そして、今や、『帝国』の時代、ポスト近代西欧・ポスト近代資本主義となったのであり、これは、差異の強度が発出して、意識されたということである。つまり、連続極と差異極とのバランス理性が形成された(、ないし、されつつある)ということである。西欧・米文化は差異極を排出隠蔽してきたのであるが、今や差異が発現したのである。つまり、連続極の極大化が終焉した結果、必然的に差異極が発動したということである。 このように考えると、差異90度回転はどういう意味をもつだろうか。それはメディア界の形成である。あるいは、メディア軸の形成である。そして、差異極とは、メディア軸上であり、連続極とはメディア軸からのさらに90度回転して、現象界にあるのではないか。つまり、男性強度とは、90度回転の90度回転であり、そして、女性強度は、90度回転に留まるということだろう。そして、男性強度が尽きると、再び、メディア界化が生起する。それは、90度回転の90度回転の90度回転ではないか。これは、最初のイデア座標(複素平面)から言うと、270度回転した状態だろう。メディア界がプラスのx軸〜プラスのz軸の面だろう。そして、そして、プラスz軸とは、現象界に接している。つまり、メディア界と現象界との境界だろう。(現象界については後で検討しよう。)このz軸から90度回転すると、イデア平面では、270度回転の位置となろう(再メディア界)。これは、差異の強度、女性の強度が主導的になっているのである。これは、最初のメディア界とは異なる。初めのメディア界は、女性の強度(差異強度)と男性の強度(連続強度)のバランスがとれている(ゆらぎの状態)が、この二番目のメディア界は、すでに、男性の強度が消費されているのであるから、当然、女性の強度、差異強度が主導的である。これは何を意味するのか。メディア界において差異面・差異極が主導的になるということである。差異の新生である。差異のルネッサンスである。ここで注意すべきは、いったん男性強度・連続強度の極限化を経ているのだから、知性・合理性をもっているということである。だから、知性・合理性をもった差異がここには存しているということである。単なる差異ではない。単なる差異ならば、デリダ的にすべて連続体を解体して、無化するだろう。そうではないのだ。ここでは、連続体の意味を包摂した差異が主導的なのである。(思う、ホリエモンの思想は、ここにあるだろう。アナログ=連続体とデジタル(IT)=差異との連結とは、正にこの再メディア界化に通じる。) では、再メディア界化した後はどうなるのか。それは、差異強度が進展するということである。それは、原点回帰、原点へのらせん的回帰だろう。プラスの差異/境界へと回帰する。それは、一つの大文化期の終焉だろう。(プラトン年を借りるならば、現代は、270度に入りつつある。これは、原点から計算すると、プラトン年(25920年)×3/4(270度)=19440年経つことになる。残り、1/4(90度)=6480年で、現在の大文化期が終焉するということになろう。シュタイナーのポスト・アトランティス期という考え方とは異なる。)とまれ、この再メディア界化とは、占星学でいう水瓶座文化期に思想にほぼ一致すると考えられる。すなわち、対立物の調和であるが、しかし、それは正確ではない。再メディア界化とは、これまで、男性強度・連続強度(連続的同一性/反動強度)の極限化が終焉して、女性強度・差異強度が主導的になるということで、単純な調和ではないのである。差異をベースにしたバランスとは言えよう。差異が基礎となるのである。差異に基づく調和・均衡が求められるようになるのである。もし、水瓶座文化期があるとするならば、そういうものとなるだろう。これは、不連続的差異論やアポスターズ論(novalis666氏による:http://d.hatena.ne.jp/novalis666/about)が理論的に世界を主導するということである。
by antares11131954
| 2005-03-31 15:05
| 不連続的差異論
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